YB125SP に乗る13年前 に カーフェリーで行った 大分 の写真
記憶をさかのぼること 13年程前だったか、KLXに乗っていた。
愛車が次のご主人を待っている姿
その前後の時期に、なぜ(母親所有の)原付を借りて久里浜発のフェリーに乗って大分に行ったのか、今となっては定かではないが、なんにせよKLXではなく、原付で大分とその隣接部の熊本、福岡、宮崎を回った。
その写真が出てきたので、昨日に続きアップしてみる。
13年前の秘蔵写真である。
久里浜港を夜に出発する しゃとる よこすか
翌日の日中はすることがないが大海原は壮観だ
椎茸といえば国東半島であるが、そこに陣取る吉弘氏の城跡
吉弘統幸は戦国武将の中でも名高い
城下カレイ(日出、杵築)で有名な杵築城下
うら若き女性団体御一行様が入浴したのであろうか。
どこかの山奥と田舎バス
金田一先生がバスから出てきそうだ。
と化してしまった慶応大学 を創立した福沢諭吉翁の生家
諭吉翁も悔いても悔やみきれないであろう。
中津藩のお城(奥平氏)
解体新書が出る前の日本ではヨーロッパと比べ解剖図がものすごく
稚拙なものであった。(小学校3年生並みの絵図(見ると悲しくなる))
有名な竹田城(岡城)。山奥のびっくりするほど巨大な城です。
岡藩(中川氏)や相良藩などさぞかし参勤交代は大変であったろう。
国内のバイクの聖地のひとつ やまなみハイウェイ
100mごとの信号だらけの関東圏ではこのような道は垂涎の的だ。
九重山の家族向けキャンプ場で一人寂しく鬱になりながら野営。
ものすごい数のカエルの鳴き声が今でも耳についている。
夕食何を食べたのか覚えていない。
寸分も気を許せない奴。
ととろに偶然出会えるのもロースピードバイクツーリングならではだ。
猫バスはまだ来ていないようだ。妹を背負ったまま待たされている。
豊後 佐伯藩(毛利氏)の城下
もうり ではなく もり。
毛利元就の もうりではないのである。
詳しくはネットで調べて。
大分といったら ドン・フランシスコ
マフィアもビックリ 大友宗麟
彼の波乱万丈に満ちた人生は数多くの人を引き付ける。
私も戦国大名の中で一番好きである。
1週間以上も原付でツーリングしていた模様。
会社は大丈夫だったのか?と疑問に思う。
家族のいる身となっては、我ながらとても羨ましい奴と思う。
ああ、もう 東京湾~大分 のフェリー は存在しない。
都会の皆さんに大分を知ってもらう機会は相当少ない。残念でならない。