YB125SP の宿敵 DUKE 125 (2017) の紹介文が酸っぱすぎ!

KTM(墺)社 の 125cc公道モデルは DUKE125 とRC125 であるが、DUKE125はそれなりに年数を重ねており、底堅い人気車であるが、2017で大幅なモデルチェンジとなる。
 2017年モデルの紹介がHPでされている。

ここで笑ってしまうのが、同モデルの紹介文だ。(2017.4.7時点です。)上記HP内の記事文を抜粋し、(紹介者は真剣なのであろうから、あくまでも個人的にということで)渋苦くも甘酸っぱい箇所を桃色字で以下に示す。

"125 DUKEは玩具ではありません。本物のモーターサイクルで、クラス最高であり、いくつかの大型バイクよりも優れた整備を備えています。2013年に初めてABSが125に標準装備されましたが、現在はLEDヘッドライド、TFTディスプレイ、オプションの統合された接続性が搭載されています。そのうえ、フューエルインジェクションシステムおよび6速トランスミッションを持つ、洗練された4ストローク単シリンダーにより、クラス最高のパフォーマンスが、冒険を除くわずかな渇きに結びつけられています。始めるには最適です。"

1.DUKEは玩具ではありません。→ いやいや、極東の端っこの住民といえどもそんなことくらいわかりますよ!
2.整備を備えています。→ 頭痛が痛い。猛暑で非常に暑い。と同レベルの気が。。。

そして、極め付け
「冒険を除くわずかな渇きに結び付けられています。」って、冒険を除いた例えば何よ?! そもそも、
DUKE125 は わずかな渇き なんですか?? そんなにちっぽけな渇きなんですか? そんなに しょぼい渇き に結びつけられてしまったバイクなんですか?? そもそも 冒険=わずかな渇き なんですか?? 英語にすれば Adventure = timid thirsty ですよ。これは、どうやっても等号ではないですよね。
そして、起承転結、最後に何の脈絡もなく、結論として「始めるのに最適です。」ですって。とても酸っぱいでしょ?

KTMは日本にちゃんと法人を作っているし、これは自動翻訳なみに酷い。日本法人社員の文書校正は一切なかったのか?日本のバイク好きの皆が見るHPにこれはないと正直思った。

また、「打ち倒せ」の横の 次へ> をクリックして紹介文を続けて読んでいくと、
デザイン
の尾部の文で、「KTM 1290 SUPER DUKE Rと同様に、弟分であるこのバイクは誇らしげです。それとも、逆でしょうか?」
と、メーカーとして誇れるKTM125を肯定的且つ積極的に捉えているかと読者に思わせつつ、
いきなり「それとも、逆でしょうか?」 と来たもんだ。

例えば、ヒトラーが 「我が闘争」中で
「我々が今日持っている人類文化、芸術、科学及び技術の成果は、ほとんどもっぱらアーリア人種が創造したものである。アーリア人種は人類のプロメテウスであって、その輝く額から、いかなる時代にも、常に天才の精神的な火花が飛び出し、神秘の夜を明るくし、人類をこの地上の生物の支配者とする道を登らせる。それとも、逆でしょうか?」 とこの一文を付け足すだけで、もう選民優生思想、ゲルマン民族主義者から、ただの悩めるギリシャ哲学者へと変えてしまう程の強力に間抜けな一文なのだ。

メニュースイッチ
でも、「非常にシンプルで直感的です。「アップ」および「ダウン」のメニュー選択から、左ボタンで希望のメニュー項目を選び、右で確定すると操作は終わりです。操作は終わりです。RACE ON。 」と 終わり、終わり、さっさと終わり とほぼ、半強制終了させられたあげくにレースオン!と来たもんだ。「もう全然動けねーよ。⤵」

さて、このバイクへの思いの個人的総括




「あー。 欲しい!」


 それとも逆でしょうか?w